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【1999.3.6】 江古田BuddyにてQuiet VillageとVMOのジョイント・ライブ。 お互い1時間という長時間ライブであったが、150人以上の観客に囲ま れ、イベントとして大成功であった。また、会場には.exeのメンバーや、 Yセツ王の方々をはじめ、遠方からもはるばる来ていただ方もおりウレ シイかぎり。感謝感激雨霰。 池袋・大馬鹿地蔵で怒涛の打上げとなる。 しかしながら、みなさんからのお褒めの言葉とは裏腹に、演奏クオリテ ィの伸び悩みに、メンバー全員悩んでいた。また、巨大で複雑になる機 材システムによる演奏への負担は、益々大きくなる一方。演奏・機材面 におけるスタッフを持たない我々にとって、現状のシステムでのコント ロール可能な範囲の限界を感じていた。 【1999.3.22】 Yセツ王のドラマーである中村氏の所属する、もうひとつのバンド「モ ノグラム」のライブが渋谷Nestにて行われる。その打上げにて、中村氏 はもちろん、高沢氏、八田氏、そして私の4人が集まる。昨年の「YMO- delicNight1979+20」の出演バンドのリーダー勢ぞろいだ。そこで「今 度、ライブ抜きで飲みたいね」との話が出る。 高沢氏がポツリと「7/25ってY.M.O. USミックス盤発売20周年、9/25って Solid State Survivor発売20周年なんですよね。しかも、どっちも今年は 週末…」と言う。 今にして思えば、これが始まりだった。 【1999.3.24】 浜松のメンバーから「もしかして、夏に何か考えてる?」尋ねられる。 7月上旬に浜松組の会社での音楽イベントに参加するかどうか迷ってい る様子。メンバーには浜松で別のバンドで活動している者も多い。同時 期に2ライブはキツイ。しかも、一方が準備に時間のかなるVMOとなれば なおさらだ(笑)。参加申込締切が3/26とのこと。 【1999.3.25】 浜松組に、3/22の高沢氏の話しを報告。それを受けて、社内イベントへ の参加は見送るとのこと。それと引換に、7月or9月に向けて頭の中で クス玉が割れた模様。夢物語のライブ構想がチラホラ出てくる。 この時期は、まだライブの現実味がないから、出てくる企画案は本当に 夢物語。あるいは白昼夢。しかし、夢物語を語っているときが、一番楽 しく、幸せな時期。やりたい事はいっぱいある。ネタは尽きることない。 夜、早速中村氏より飲み会のお知らせが来る。全員即答OKで、週末に集 うことになった。なんっつう連中だ(笑)どんな話が出るのやら… 【1999.3.27】 4人での初の飲み会。Quiet Villageの志賀口氏と谷口氏も参加。バカ話も 含めて大変盛上がる。今まで知らなかったお互いのキャラがバレてくる(笑) QVの3人が「オマエ、そんな曲好きだったんだ」「オレはアレをよく聞 いてて…」などと初めて会ったように話しているのが可笑しい。ビール が空くペースも速くなり、八田氏、ダメな人に変身する。最後は、とん こつラーメンでシメる。 …しかし、実のところ全員が「きっと高沢氏から何か提案があるに違い ない」と思っていたのに、何もなし。まあ、ただの飲み会だし… そう言えば、高沢氏が会話をDATで録音していたような気が…(笑) |
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【1999.4.17】 VMOプロレス組、ジャイアント馬場さんの引退セレモニー参加のため武道館へ。 【1999.4.21】 6月のYセツ王ワンマン・ライブのため、あっこちゃうやんから布施邸 への宿泊予約が入る。 本人いわく、「一ヶ月も前から予約するなんて初めてだ (^^ )」 |
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【1999.5.1】 4月上旬より微熱が続いていたのだが、とうとう発熱。プライベートの 熱海行きを取りやめる。5日のGW最終日まで寝込む。 【1999.5.6】 高沢氏より「YMOdelic Night」の企画案メールが届く。9月に行いたい とのこと。会場は目途は立てているが詳細は全く未定。高沢氏はプロデ ューサー的立場を取る、とのこと。 すぐに浜松のメンバーに連絡する。 【1999.5.7】 メンバーには内緒で(爆)出演を承諾する。 ただし、「VMOとして出るかは未定」との条件を付ける。 その後、なんとなくメンバーの気持ちを出し合う。自然と一致したのは ・是非出演したい ・とは言え、3月のライブが終わり、まだ気持ちが盛上がらない ・機材やシステムの負担を軽くしたい ・ラフなスタイルで演奏したい という点であった。 この時点で「MR.YF BAND」もしくは、「Media Bahn Live」などの案が 出る。しかし、何を演るにもギターが必要。どうするか。 【1999.5.10】 あっこちゃうやんも「ただのひろし≠高野寛」として「またテルミンや ってみたいな。」と、MR.YF BANDを希望するも、ライブには前向き。 【1999.5.17】 リーダー間でメールのやり取り。 高沢氏より.EXE再生の話しが出る。ドラマーとみな氏が北海道から来る 可能性大!Quiet Villageは、夏に予定していたライブを中止し、YMO- delic Nightに集中するとのこと。Yセツ王は、出演はまず大丈夫、と のこと。他のバンドは順調(というか現実的)に話しが進んでいるよ うで、焦る(笑) 9月は結婚式が多くなる時期だが「9/18は仏滅だから、結婚式にも呼ば れることもないだろう」という八田氏の意見で、9/18が最有力となる。 Yセツ王ライブにてYMOdelic Nightの告知をすることに決まる。 高沢氏いわく「昨年出演した4バンドが揃ったら、やっぱりタイトルは <ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン!>でしょうか(^^)」 【1999.5.18】 浜松組はYMOdelic Nightに前向きなのだが、9月末は時期的に激務を迎える 頃である。そのために、早めにコンセプトを決め準備に取りかかる事にする。 「Media Bahn Live」の場合、ジャンバー製作は間に合うか、ミラーボール 製作は間に合うか、巨大アフロは間に合うか。問題点多数。 【1999.5.19】 4月中旬より微熱が収まらず、とうとうダウン。気管支炎にリーチに ビンゴ。3日間ほど自宅療養。その間もネットで浜松組と打ち合わせ。 現実的には「MR.YF BAND(YT BANDコピー)」、インパクトなら「Media Bahn Live」という、半分夢物語的に話は膨らむ。 MR.YF BANDとしての候補曲。 H Glass 薔薇はプラズマ 神経質な赤い薔薇 Flash Back Front Line また「VMOでもいいよ」という声も出てくる。 一方「VM0(ゼロ)」ならいいかな」という案が野上氏より出される。 【1999.5.30】 浜松にて矢野顕子出前コンサート。あっこちゃうやんをよく知ってる浜 松人が、初めてホンモノを体験する。 #「ああ、小川くんが何やってるのか、やっとわかった」 【1999.5.31】 高沢氏より日程調整の連絡。当初予定していた高田馬場AREAがすでに 9/18,25が埋まっている、とのこと。10月にズラすか、日程そのままで 会場を変えるか。 「Yセツ王は、ワンマンが終わって間に合わないんじゃないか?思い切 って11月や12月に動かしては?」という案も出るが、なんと中村氏から 「YMOdelic Nightの企画はすでに決まっている。9月でOK!」との返 事! いやはや、スゴイ人達だ。 浜松組とは、最終的に「出演するのか、しないのか」の議論を始める。 |
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【1999.6.1】 構成は未決定のものの、浜松組としてYMOdelic Night 1999に出演する ことに決定する。 野上氏から 「Guitar はあまりやりたくない」 「できれば VMO 以外で出たい」 「完コピにはこだわらない」 という希望が出る。だんだん、夢物語から、現実物語に移行し始める。 清田氏は、参加している他バンドのスケジュールのため、今回はNGとの 連絡。当日がOKならスタッフとして協力をお願いする。 【1999.6.2】 八田氏が速攻で、9/18江古田Buddyを仮押さえ。 これで、YMOdelic Night 1999が9/18に事実上決定する。 浜松組的には、時間的に新曲は1、2曲。全体で5曲程度。完コピなしと いう感じで決まる。もしくは、23分間Autobahn1本勝負(笑)それは冗談 としても、クラフトワークをバンドアレンジで演奏する、という案も出る。 懸案事項は、バンド名義はどうするか?VMOで出るか、覆面バンドにす るか。ギターを入れるか、ナシで演奏するか。VMOなら、1次でも2次 でもない「公的抑圧」を演るか? 「もしもライブ」も提案される。もしも、Winter Liveで東風が演奏され ていたなら、もしも、散開ライブでThe end od asiaが演奏されていたら。 【1999.6.3】 日程が決まり、6/5のYセツ王ワンマン・ライブ会場にてチラシを配る ことを決める。とはいえ、.EXEならびにVMOの出演は100%確定したわけ ではないのだが、こうなったら「Go!」である。 帰宅後、Macを立上げ、速攻でチラシ作り。とにかく、出演バンドと日 程、会場のみ宣伝する。当時、まだスキャナーを持っておらず、出来あ がったチラシのサンプルをデジカメで撮り、HPにUPして各バンドのリー ダーチェックしてもらう。深夜1時30分。 【1999.6.4】 バンド名義について、「完コピじゃないならVMOはなし」の意見が圧倒的。 「VMOは何でもあり、にしたくない」 「今後のVMOの完コピ道にも悪影響を及ぼしかねない」 「VMOにはコダワリたい」 機材面に惑わされることなく、YMOへのこだわりを表現するには…? 選曲的には、意外性のある曲+YMO。「フォトムジーク」や「YOUのテーマ」 「音楽殺人」「春咲小紅」が候補に上がる。 明日はYセツ王ライブ。夜、仕事を終えたあっこちゃうやんが浜松より やって来て布施邸に宿泊。 【1999.6.5】 Yセツ王ライブ。驚愕の夜。ライブ終了後、ちゃうやんのケイタイを借り て、即座に浜松・大江氏に電話。「あの企画では相手にならん」とライブ の様子を報告。感動と共に、我々サラリーマン・バンドの限界を見せ付け られた。嫉妬に燃えた、新宿・大馬鹿地蔵での楽しい打上げであった(笑) 早朝解散後、八田夫妻と谷口氏、ちゃうやんで松屋で牛丼を食べ、始発 で帰宅。食べた後で吉野家を見付けた八田氏の怒り爆発。思えば、これ が牛丼番長の誕生であった。 【1999.6.6】 あまりの怒り(興奮)で、昼にはすっかり目覚める。浜松組への伝言を 託し、ちゃうやんを見送る。 Yセツ王との正面衝突を避けるために(だって、かないっこないもん ^^;) 現状の企画案を保留し、 1.YMO完コピVMOで行く 2.MR.YF BANDで行く 3.現状案を突き進める の3案を提案し直す。 【1999.6.7】 メンバー連絡用掲示板にオニの書き込み。しかし、あのステージを見て ないメンバーには、なかなか話しが通じずらい。夜、大江氏のケイタイ に電話すると、ちょうど浜松組ミーティング中。当初予定していた 「VM0(ゼロ)」は、Yセツ王を見た後ではキツ過ぎる。何がベストか… 6人バンドの強みを生かし「2000-20」のコピーをするか、ということ で落着く。ただし、あまり現実味が無いこともわかっていた。「浜松 組」のキャラを最大限に発揮するにはどうしたらよいか… 【1999.6.8】 ギターリスト伊藤氏に接触を始める。9/18は空いているとのこと。 「featuringあっこちゃうやん」案が出る。我々にしか出来ないものは 何だろうか… 苦悩の日々が続く。 【1999.6.9】 「私は全く反対しているわけではありません」 矢野あっこちゃうねん とのコメント。しかしながら、声への負担、さらに演奏を考えると、難しいか。 全く関係ないが、同時に 「私は変態でした」 矢野あっこちゃうねん というコメントも出される。だからなんなんだ (^^;) 【1999.6.10】 高沢氏より「もっともゴージャスにやった場合(笑)」として、前売券 をチケットぴあで扱ってもらうことが提案される。ソレ相当の手数料は 取られるが、毎度スタッフ不足のため、予約受付と当日券販売の手間 を省けるのなら、お金がかかってもぴあを使いたい、という意見が一致。 もちろん「かっこいいかも」というミーハーな狙いも大きかった(笑) 浜松組サイドでは、ここには書ききれないほどの白熱した議論が行われる。 【1999.6.11】 私個人のHP「MR.YF EST.1968」の1ページであった「VMO HP」をリニュ ーアルして独立させることにする。BBSや画像を沢山使いたい。構成を 考え始める。 URL末尾の「1994」は、VMO初ライブの年である。 【1999.6.14】 6/26に各バンドのリーダー・ミーティングを行うことがき決まる。 【1999.6.15】 よく考えると、8月までの土日のうち、フリーなのがすでに3回だけで あることが判明。取り急ぎ、練習スケジュールを組む。 【1999.6.16】 VMOにとっては爆弾提案を行う。 「今回は完コピにこだわななくてもいいのではないか」という再提案。 もともと「機材を減らすことが最初の条件だった」ということもある。 それを踏まえて、ベース役の天野氏をタンス係に、ベースは弦ベースに して野上氏に担当してもらう大人事異動を提案。 「弦ベースで東風を演奏する」 この時点で、春咲小紅/在広東少年/東風の3曲と大まかな構成が決まる。 【1999.6.17】 あっこちゃうやんから「2曲以上のボーカルは難しい。しかも曲間を離 して欲しい」との要望が出る。構成練り直し。 浜松のとネットでのやり取りで、思うように意思がつたわらず、かなり ナーバス状態に陥る。 【1999.6.18】 浜松組緊急ミーティング。 さまざまな案が出たものの、最終的に弦ベースをフルに活かす方向で YOUのテーマ、春咲小紅、Core Of Eden、在広東少年、東風の5曲で固まる。 また、VM0(ゼロ)として出演することも決まる。 The Digital Side of VMO。VMOのコピーバンドを装う。 メンバー全員、「YMO」にこだわっているのではなく、実は「VMO」に こだわっていることがわかる。時には困りもんだが、内心非常にウレシイ。 「東風はどうしても人民服で演りたい」という布施の強引な要望で、 「アンコールで着替える案」が浮上する。 YMO初期の曲を演奏するにあたり、香津美ギターの第一人者・伊藤氏の 出演についてはノー・プロブレムだが「大村憲司の音を出してくれ」と お願いできるかどうか、心配である。 ●ギターリスト伊藤語録:「決まってるんなら早く教えろよ」 【1999.6.21】 「YOUのテーマ」楽譜をどうするか? 雑誌「キープル」に載っていた、という情報まで掴むが、公に「Wanted!」 するとネタがバレるので耳コピにする。しかし、キープルにはエンディング まで載っていた、とのこと。お前聞いたことあるんかい!!! > 採譜者 【1999.6.22】 構成が決まったために、ギターリスト伊藤氏に正式に出演交渉する。 新たにタンスを作ろうか、という話しが出る。 Yセツ王とQuiet Villageが企画を一度白紙に戻した、という連絡がくる。 【1999.6.23】 今回の使用機材は、 ・デジタルを使う ・安い現行機材を使う とのことから、シンセはJX-305、ボコーダーにJP-8080、シンドラに V-Drumsを使うことで決定。シーケンサーにはVS-880。 その分、これまで機材面で隠れていた演奏力の低さが露骨に出ることは 間違いない。演奏力の向上に努力する。 ●ギターリスト伊藤語録:「大村憲司が弾けない?なめんなよ」 これにより、ボクは松屋の出入りを一週間自粛する。 【1999.6.24】 YOUの頭のドラム・ソロを長くして、客を煽るヤングなパターンが野上氏 より提案される。同時に、「東風のギター・ソロは、公的抑圧の坂本 ソロをコピーしてはどうか」との案も出される。 伊藤氏、フェ―カー・ホーリック購入。但し、我々の深い激論は理解不能(笑) 浜松スタッフのDancing-Dog田畑くん、過労でダウン。 【1999.6.25】 こっそり作っていたVMO HPをメンバーに発見される(笑) なんで?と驚いたが、どうやら昔にURLを公表していたらしい。ついで にバグ出しをしてもらう。 春咲小紅は、オケを作るためクリックを入れる。そのあたりの打ち合わせ。 メンバーから「今回、バカ系の曲が多い。本当に広東でいいのだろうか」 との不安の声が出る。 「迷わず行けよ行けばわかるさありがとう」(c)アントニオ猪木 「バカで結構!笑うなら笑え」(c)大仁田 このふた言で納得する。この道をゆかば… 【1999.6.26】 4バンドのリーダー会議。 今回は、曲目があまり重ならないように、と事前に調整しよう、とのこ とで各バンド予定曲目を公表する。 おお、すっげー(驚き)! やられたぁ〜(泣き)! 曲名を発表するたびに一喜一憂する全員のリアクションが面白い(笑) が、不思議と各バンドとも予定曲がダブらず、結果的に調整はなし。 同時にYセツ王から、QV志賀口さんのレンタル移籍の申込。その場で八 田氏が電話連絡。我々には、もう1曲追加して欲しい、との依頼が来る。 が、持ち時間を考えると無理か? スタッフTシャツを作ること、チケットはぴあで売ること、なども決定す る。今回は、おひさしぶりの.EXEにどどーんとトップバッターを飾っても らうことで決まり。ラストは、当然Yセツ王。.EXEとの機材の共通さから 我々が2番目。QVは定番の出演順。パンフレットを作ることも決まる。 また「VMOとしては出演しない。フル・デジタルで演る。バンド名は当 日発表」を宣言。 高沢氏「それでは、インフォメーションはどうしましょう?」 私「VMOのままの表記で結構です (^^)」 今回の浜松組、漢字タイトル曲が多いな(笑) 【1999.6.27】 各バンドの演奏曲目を浜松に報告。他バンドが何をするのかわかったこ とで、ようやく、自分たちの進む方向も見えてきた。 ●ギターリスト伊藤語録: コピーして分かる、香津美先生の凄さ やっぱ、すげーよ。なんで、あんなフレーズが無尽蔵に出てくるんだ? 【1999.6.28】 「在広東少年」をシンセ・ベースにするか弦ベースにするか議論。 浜松組練習用のドラム入りデータの作成が始まる。 【1999.6.29】 中村氏、早速スタッフTシャツをデザイン! 当初は「黄色か黒」だっ たのだが「どっちも欲しい」という3名の希望で両方を作ることになる。 グッズには目のないVMO。いったい何着買うことになるのだろう(笑) Tシャツに書かれている「The Copy Bands of」の「The」について、 「コピーバンドは我々だけではないので、"The"を使ってよいものか」 と高沢氏の意見。 さすが、自分達のことだけでなく、世界中のYMOコピーバンドのことま で常に考えている高沢氏。YMOdelicです。 結果的には、何も考えていない僕らの「一応、出演する4バンドのこと を言ってるんだから」「そもそも深く考えてない(笑)」という意見で、 納得していただく。 【1999.6.30】 VMO HP公開前日。コンテンツを書きながら昔の事を思いだす。 チケットに通し番号を入れてビンゴ、というか抽選をして各バンドから プレゼント、というのはどうか? という案がリーダー間で出される。 |
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【1999.7.1】 VMO HPオープン。 中村さんに、スタッフTシャツを注文。浜松組、なんと25着購入(爆) 【1999.7.2】 19日の浜松組初練習に向けて、各人練習を始める。現実的な打合せをネ ットで行う。 この頃から、朝型まで起きていることが多くなる。 牛丼食べる機会が多くなる。 ビールの摂取量が多くなる。 朝方、八田さんと電話する機会が多くなる。 【1999.7.5】 「東風」データを作り。 ここで初めて「Bメロはシーケンサー」という事実に気付く。しかも、 Bメロ副旋律は香津美ではなくAKKO。いやぁ〜、知らないことも多い。 【1999.7.6】 リーダー間で、搬入、モニターの打ち合わせ。入場料の設定。 高沢氏が、あらゆる場合を想定した収支を試算してくれる。まず、イベ ントの内容から言って\1,500〜\2,000が妥当な料金、ということで意見 が一致。当日券は「オツリの手間を省くためキリのいい金額」「できる だけ前売りを買って欲しいので前売りと500円は差をつけよう」とのこ とから、ちょっと高めの\2,500に設定。自然と前売りは\2,000に決定。 どうも、メンバーが「YMOdelic Nightで、なんでこんなに盛上がってい るのか?」とイマイチ理解できていない様子。よく考えれば、浜松にい て、あまりYMOdelicsの方々と接する機会が少ないメンバーは、「? ??」の部分が多いようだ。あまりの盛上がりに、多少引いてしまって いる部分も感じられる。 そこで、状況説明と「YMOdelic Nightとは?」「主催者の意図は?」と いう部分を説明したMR.YF責任編集メンバー向けインターネット季刊誌 <<季刊YMOdelicNight>> を発行する。全6号の予定で、 第1号(創刊号) ◎YMOdelicNightについて1 <<イベントの経緯・観客の反応>> 第2号 ◎YMOdelicNightについて2 <<主催者の意図>> 第3号 ◎YMOdelicNight1999について1 <<チケット料金・販売方法>> 第4号 ◎YMOdelicNight1999について2 <<進行・各バンドの企画意図>> 第5号(最終号) ◎VMOは? <<何をするか?何をしたいか?>> という内容。ただし、実際には、第2号を発行した時点で廃刊となる(苦笑) 【1999.7.7】 高沢氏が、早速チケットぴあへの手配、ならびに事務手続き内容の報告。 チケットに通し番号を入れる場合は、整理番号として、主催者側が番号 順の入場を保証しない限り、番号は入れられない、ということが判明。 残念ながらビンゴ大会はなくなる。 【1999.7.8】 季刊YMOdelic Night第2号発行。 【1999.7.16】 「YOUのテーマ」の構成検討。 【1999.7.19】 9/18の機材用レンタカーの予約完了。 浜松組、初練習。 【1999.7.20】 初練習のレポートが届く。YOUの演奏が、なかり赤面との事。中学の頃、 始めてバンドを組んだ時のような恥ずかしさ、とか。 【1999.7.25】 全員揃っての初練習。 結局、ほとんど個人練習できず、ウオークマンを聴きながら、新幹線の 中で練習する。昼過ぎ浜松着。 予想していたよりは、いい出来。もちろんクオリティーは低いが、なんと かなりそうだ。「恥ずかしい」と言ってた「YOUのテーマ」がかなりイイ。 「ここでギターソロを入れて」「エンディングはこんな感じで」 完コピしかしてなかった我々にとって、バンドっぽい練習だった(笑) 「YOUのテーマ」のエンディングは、「YTエンディング」「じゃぁ〜ん」 などいろいろ試すが、決定打が出ない。 あっこちゃうやんが冗談で弾き語りを始める。バカウケ。しかし、我々 の練習でピアノの音が鳴るとは… やっぱり、デジタルはスゴイ(爆) そして、また夢物語。デジタル・たんすを作ろう、と盛上がる。やっぱ りスケルトンか。夢のiTansu。 東風が重い。若干の不安。 【1999.7.26】 本番1ヶ月前のチケット発売を目指し、高沢氏が明日ぴあに出向いて手 続きをしてくれる(仕事を休んで!)とのことで、内容の最終チェック。 大江氏より「9月末に出張が入るかもしれない」との連絡。18日は大丈 夫とのこと。本番が25日じゃなくてよかった。 YMOdelic Night 1999オフィシャルHPに、出演者用の「メガ日記」コー ナーが開設される。管理者はもちろん、高沢氏。 【1999.7.27】 高沢氏より、ぴあの手続きの終了の連絡。8/18チケット発売が決定。 ペンネーム「星一徹」さんより、25日の全体練習の辛口感想。「まずは 音作りに精を出してみよう」との提案。「星一徹」さんって、もちろん、 アノ人なんだけど(笑) あわせて「もう1曲追加するかしないか?」の議論をはじめる。各リー ダーへ持ち時間の確認。5曲で、持ち時間ギリギリと言う計算だったの だが、高沢氏から「バンド入換え時間を短くするために、.EXEの本番時 にステージ後方に機材を置いてかまわない」との案をいただき、1曲追 加を前向きに考える。本当に感謝感謝である。 加えて、会計に関する話しも出る。もちろん、お金の話だし、結構な金 額なので、それ相応にシビアに打ち合わせる。 【1999.7.28】 1曲追加する場合は「音楽殺人」が最有力候補となる。 となると、曲順は2曲目、しかも「YOUのテーマ」とのメドレーにする 案が出される。反面、シブ系、涙系ではなく「これぞポップス曲」の追 加で、本当にのりのりバカ系ばかりになってしまった(笑) 練習時の「ちゃうやん弾き語り」が評判よく、なんとか本番で使う方向 で構想を練る。 【1999.7.29】 中村氏より、Yセツ王アンコール時での、全員のカーテンコールが提案 される。また、その時に助教授ことヒサシ氏が作ったTHE END OF ASIA 増殖バージョンの出来があまりに良いので、是非使いたい、とのこと。 もちろん、全員即OKとなる。 高沢氏は「ユキヒロの<サヨナラ>に合わせてみんなでちぎれるほど手 を振ろうかなぁ、とか(^^)」考えていたようだが(笑)。 浜松の田畑くんが、いち早く中村さんのDRIVE TO 2000出演の情報を キャッチする。 【1999.7.30】 各バンドリーダーに「音楽殺人」の追加を連絡。バンド入換え時のBGM について打ち合わせ。自分のバンドのセッティング中にかけるBGMは、 そのバンドに任せる方向で決定。 後日談として、当日BGMにまで頭が回らず、とほほ…と思ってる中、高 沢氏がVMO用にもBGMテープを作ってくれていた(1999.9.18参照) 8/1のREI@STRATOSライブでYMOdelicNight1999のフライヤーを配布する ことになる。日時、料金も決まったため、6月に作ったモノクロ版を一 新、カラーで新しいフライヤーの製作に取りかかる。が、なかなかいい デザインが思いうかばない。で、朝。また徹夜。 【1999.7.31】 フライヤー完成。同時にYMOdelic Night 1999オフィシャルHP公開。 「音楽殺人」の「High Frequency Disease」は誰が言うか、SAXソロは どうするか、などを検討。完コピはしないが「'86YTスタジオ・ライブ の雰囲気」という希望を浜松組に伝える。 |
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【1999.8.1】 REI@STRATOSライブ会場に約150枚のフライヤーを用意する。Yセツ王の 中村氏、ヒサシ氏、そして八田氏も参加のバンド。会場にはYMOdelics の面々は沢山。 会場にてYセツ王スタッフの谷垣氏と談笑中「今回はアナログ使わない んで…」と口走ってしまい、大いに驚かれる(笑)。当然、口止めをお 願いする。 打上げにも参加。最近、メンバーとのネットでのやりとりでかなりスト レスが溜まっていたので、酔った勢いでイロイロ愚痴をこぼしたような… …気もする ^^;) YMOdelic Nightの会場で、YMOのベストCD「YMO GO HOME」のチラシを配 布できるかもしれない、という話しを高沢氏より聞く。驚き。多分、酔 ってはいない ^^;) 【1999.8.3】 先日作ったフライヤーに誤植発見。しかも、オフィシャルHPのURL。修正版 を作る。高沢氏にもチケットの文面確認をお願いする。こちらは問題なし。 会計についての叩き台案を提示する。 【1999.8.5】 YMOdelic Night 1999当日が、全日本プロレス・ファン感謝デーとバッ ティング。浜松組プロレスチームがどう動くか。動向が気になる。 【1999.8.6】 Quiet VillageとYセツ王の中村氏とカトウ氏によるユニット「ONGAKU」 のオールナイト・ライブ。フライヤー200部用意。ここでも大勢のYMOdelics。 なんと、北海道から.EXEのドラマーとみな氏の顔まで。 急に仕事が忙しくなり始める。反面、浜松組は、会社が夏休みに入る模 様。とはいえ、結構みんな会社にいるようだけど… 【1999.8.8】 .EXEにとりてくFUSEさんをボーカルに迎えた「トシカーズ」のライブ。 フライヤーを50部ほど用意。したのだが、疲労で動けず。 【1999.8.11】 インターネットぴあにYMOdelic Night 1999が掲載される。 【1999.8.13】 スポニチに「YMO GO HOME」の記事が大きく載せられる。各テレビ局の ワイドショーでも取り上げられる。 【1999.8.16】 探し求めていた「春咲小紅・ザ・ベストテン」のビデオをようやく発見。 各パートの貴重な資料となる。 【1999.8.17】 浜松組の練習。東風のテンポを若干変更したとのこと。 あと、比較的「ハマースミス・オデオン公演」の演奏に近かった Core Of Edenを「2000-20」っぽく変更。エンディングにうにゃうにゃシンセを 入れるとのこと。 【1999.8.18】 あと1ヶ月。チケット発売。 今後の浜松での練習日程の調整。8月は個人練習および音作り。9月に 2回全体練習することで決まる。 昨日の練習の反省。こちらはそのレポートをチェック。音作りはもちろん、 クリックの音色の変更、また、バンド内でのシンセのミキシングの仕方、 エフェクトのかけ方、などなど。 浜松より、Buddyのベース・アンプについて問い合わせ。Quiet Villageの メンバーに尋ねると、さすが火柱ベースの志賀口氏、細かにおしえて いただき、非常に助かる。 【1999.8.19】 ミキシングについて話し合い。 Buddyからは、シンセ系はステレオ2CHにまとめてPAに送ってくれ、と頼 まれているが、シンドラを別枠にして、直接PAに送りたい、との意見が 出る。確かに、これまでほとんど毎回、シンドラのバランスには泣かさ れている。今回は、別系統で送りたい。 【1999.8.21】 あっこちゃうやんと田畑くんのバンドのライブ。 ちゃうやんはヘビーなドラマーに変身。 【1999.8.23】 今日発売の関東版ぴあの前売り発売に「YMOdelicNight1999」が掲載さ れる。その何行か上は、坂本教授のオペラ「LIFE」公演チケット情報。 浜松に、「音楽殺人」資料テープと、春咲小紅ビデオを送る。メンバー 間で「殺人」というタイトルの掲示内容やメールが飛び交う(笑)。 次回の全員練習は9/4(土)に決定。その後、9/15(水・祭)に最後の練習 決定。9/12(日)は浜松プロレスチーム、プロレス観戦のためなし(笑)。 【1999.8.24】 突然、9/1〜9/4までの広島出張を言い渡される。そのため、9/4の練習 は中止。9/5(日)はもともとNG。また、野上氏が9/15に休日出勤命令 を受ける。とすると… 本番まで一度も練習できない(大汗&大泣) 慌てて8/28(土),29(日)の練習を提案するが、すでに半数のメンバーがNG。 どうするどうなるVMO。 野上氏が、9/15(水・祭)は数時間だけでも時間をあけてくれることに なり、15日の全体練習が確定。 また、9/11(土)の予定をキャンセルし、急遽11日にも練習することに。 【1999.8.25】 中村氏、今日より5日間、実家へ帰省とのこと。ごゆるりとご静養くだ さいまし。スタッフTシャツが9/1に納品されるとのこと! 楽しみ! 【1999.8.26】 浜松組練習。本来、今日、明日の2日間で音作り&個人練習の予定が、 私の出張の影響を受けて急遽練習に変更。録音して宅急便にてテープを 送ってもらう。 こちらも急遽資料用のテープを作成、キライなウォークマンを持ち出し、 所かまわず聞きまくる。 スタッフTシャツ納品を控え、またもや高沢氏が面倒なお金の計算をし てくださる。本当に頭がさがります。 【1999.8.27】 浜松組練習。 「音楽殺人」の頭に、あの印象的な「ぎゃ〜ぎゃ〜」というSEを入れる かどうか検討する。さらに入れるなら、メドレーにするか、ブレイクを いれるか?メドレーでSEが入ってくるのか?など、さまざまなパターン を考える。が、結論は出ず。 伊藤氏より「●●の完コピばかりでなく自由なソロを弾かせて欲しい」 という声が出る。そもそも、今回「完コピなし」のVMzerOでもあるので、 その通りだ。ただし「東風」だけは別。「カットされた香津美が編集坂 本ソロをコピーする」というYMOdelicフェイク的な狙いを理解してもらう。 「YOUのテーマ」はギター・ソロカットの方向で動いている様子。「音 楽殺人」のソロは?ギター?シンセ?サックス? 【1999.8.28】 土曜日。洗濯などしているが、練習以上に、本番までフリーな休日がな いことに気付き、昼頃になって急遽、スネアを買うため都内に出る。新 宿・御茶ノ水・秋葉原・渋谷の楽器店を回り、TAMAのスネアを購入する。 【1999.8.29】 同じく本番前最後の休日。美容室へ行く。 浜松組練習テープが届く。予想以上に出来はよい。また、練習用のドラ ムの打ち込みが、マニアックなパターンまで忠実に打ち込んだ優れもの。 驚異的なドラム・データ。ここまで出来ているなら、わざわざボクが叩 かなくてもいいような気がしてきた(笑)「音楽殺人」のドラムSEの音 がとてもよい。 テープを聴いての感想レポートを送る。コピーミスも多く目立つ。 ボーナス・トラックとして「ふせくん〜がんばってるかなぁ〜」と弾き 語りが入ってた。誰だ、オマエは。 ●ギターリスト伊藤語録: 東風は、坂本ソロのコピー。64小節、やっと覚えた…。もう目つぶって も弾けるよ。 【1999.8.30】 「YOUのテーマ」〜「音楽殺人」は、やはりメドレー希望。 VMOがデジタルを使う しかも、VMzerO 春咲小紅 んで、人民服にお 色直し。さらに東風のソロが、あれ?^^;) 今回は、何もかも「次を予測させない」がコンセプト。しかし、メンバ ーの意見は別れる。どれがいいかは、ここまで来ると好みだからね。す り合わせが難しい。 「音楽殺人」のソロは、サックス奏者の清田氏より「準備時間がない」 との返事。サックス・ソロの線は消え、ギター・ソロに決まる。 9/1からの出張が、明日の朝一からに変更になる。各リーダーにネット につなげないことを連絡する。 帰宅後、谷垣氏にフライヤーを手渡していないことに気付く。さらに、 広島から帰ってきた後では、日にちが無さ過ぎる。そのため、急遽、フ ライヤーを約180部プリントアウトする。 眠くて、何もせずに寝る。 【1999.8.31】 朝4時起床で出張の準備。 羽田への行きがけ、川崎にて谷垣氏にフライヤーを送る。 広島の現場最悪。9/9(木)からの再度の出張が決まる。13(月)まで の予定。これで11日の全体練習も中止になる。とりあえずあっこちゃう やんに電話連絡。浜松組に連絡してもらう。 |
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【1999.9.1】 広島は、やっぱり空気がいい。でも、現場最悪。 【1999.9.2】 広島は、やっぱり魚が美味しい。でも、現場最悪。 【1999.9.3】 広島は、やっぱりお好み焼きが美味しい。でも、現場最悪。 とりあえず、一旦広島を離れることに。東京に帰れば、明日浜松に行っ て練習できないこともないが、個人練習を全くしていないので、ここは 開き直って福岡の実家へ帰る。夏休みもなかったんだから、バチは当た らないだろう。 【1999.9.4】 やっぱ福岡はヨカね。福岡ドーム隣のSeaHawkに泊まる。インターネッ トTVで自分のBBSを見る。なんか、普段よりニギヤカそうだ。しかし、 あまり通信状態がよくないので終了。詳しくは、日記を見てね(笑) 【1999.9.6】 最終便の飛行機で帰京。福岡では、楽器店のドラムで練習する。飛行機 の中では隣がいなかったので、どかどか手足を動かしタイコの練習。 メンバー全員「VMOのビンテージ機材を楽しみに来てくださる方々を、 本当に満足させられるパフォーマンスができるのか?」不安と心配と わずかな自信が交差する。 【1999.9.7】 時間がないので、浜松宛に業務連絡の嵐。「YOUのテーマは曲の構成の 面白さから、やっぱりギター・ソロを入れたい」「YOU〜音楽殺人は、 ブレイクなしのメドレーにしたい」など、一通りの希望をすべて伝える。 あとは、福岡で考えた演出・構成を報告。また、多少演奏面で浜松組と こちらの考えがズレていることがわかり、そのあたりの擦り合わせ。 帰宅後、疲れがドッと出て夜8時頃に布団にもぐり込む。あ、その前に… とメンバー用掲示板をチェックしたところ… 衣装についての提案を読 み、頭に血が昇り眠たいのに寝れなくなる。しばらく、ゴロゴロするが、 目は覚める一方。我慢ならなくなり、あっこちゃうやんに電話。「本気 なのかっつ!?」 1時間ほど話し、「ああ、そういうことね」と一応の納得。 電話してよかった。 広島出張で不在の間に、高沢氏からセッティング表の提出願い、および 当日タイム・テーブルが送られてきていた。 中村さんから電話。明日のよるTシャツを配布するとのこと。 OKの返事をする。 【1999.9.8】 浜松組スタッフのDancing-Dogこと田畑くんが、9/18は休日出勤の可能 性大との連絡。 VMOならびにVP-330と差別化するために、ボコーダーはあえてヘッドセ ット・マイクを使わずに、スタンド・マイクを使うことにする。でも、 ヘッドセット・マイク付きヘッドホンを使うんだよねぇ(笑) また「Core Of Eden」のエンディングはタイコで締めずに「バタバタバ タ…」で終わらせることに決定。さらに間をあけずに続けて在広東少年 に入ることも決まる。 今夜バンドリーダーの4者会談。Buddy提出用のセッティング表作成。 いつもはIllustratorなどのソフトを使って書くのだが、圧倒的に時間 がなく手書きにする。が、なんともしまらず、結局、一番自由に使える 「回路図作成ソフト(OrCAD)」でセッティング表を作成。 7時30に渋谷109前の吉野家前に集合。スタッフTシャツを受け取る。 中村さんは、予想していた仕上がりと多少差があったようでガッカリし ていたが、なかなかグッドなTシャツ。しかし、25枚は重い(笑) 帰宅後、八田氏に電話。野上氏とあっこちゃうやんに電話。高沢氏から 電話。中村氏に電話。なんかいろいろあった日だった。 【1999.9.9】 今日の夜より、再び広島へ。13日帰京の予定。 定時で会社を出て、帰りがけ時間がないが渋谷により、スネアのリン グ・ミュートを探すが、希望のものがなく諦める。 メンバー用掲示板に連絡事項を書き込み、10時30分に本厚木へ。 その後、陸路で広島へ。 11日は練習用にスケジュールを空けていたので、この日を浜松組の最終 音作りおよび工作日(笑)に充てる。 デジタル・およびVMOビッグ・バッチを作成。また、プロジェクターを使い、 デジタルたんすに、過去のVMOビデオ・ダイジェストを映す案で盛上がるが、 プロジェクター所有者が海外旅行中で不在。連絡が取れず、保留に。 【1999.9.10】 早朝広島着。現場は予想できる最悪をはるかに上回る最悪な状況。どのくら い最悪か、というと、コーラと思って飲んだのが麺ツユだったくらい最悪。 13日帰京の予定だったが、14日に再度日帰りで広島に来ることが決まる。 あっこちゃうやんに電話。自分の希望や意見は全て表明したので、全て の決定権を浜松組に委ねることを伝える。高沢氏の電話番号をメモし忘 れてたため、中村氏と八田氏に電話。 世間は金曜日だというのに、超ブルー。 【1999.9.11】 できることなら逃げて帰りたいくらい最悪は続く。13日に一度帰ってる 暇もなくなり、14日まで連泊になる。但し、14日中には必ず帰らせても らう事を確認。 夜、大江氏のケイタイに電話すると、ちょうど浜松組の練習中だったた めに、いろいろと演奏についての打ち合せを行う。この場で、急遽「YOU のテーマ〜音楽殺人」のメドレーにシーケンサを使うことが決まる。明 日からシーケンスデータを作ってもらうようにお願いする。 その後、浜松組は、VMOビック・バッチおよびデジタル・タンスの作成 に取りかかる。 【1999.9.12】 やっぱり最悪の状況は脱せず。PC関連のアクセサリーが急遽必要になり、 広島市内の大型電気店「ベスト電器」へ行く。楽器コーナーがあったの で、ちょっとのぞき、その場でスネアのリング・ミュートを購入する。 夜12時まで作業。 【1999.9.13】 どうにもこうにも。深夜3時まで作業。 【1999.9.14】 広島滞在最終日。しかし、作業は一向に進まず。ホールのお披露目は16 日。「なんとか明日(15日)まで残ってくれないか」と専務に頼まれる が「絶対ダメだ」と告げ、みんなを残して最終の飛行機で帰京。身代わ りに、罪のない若人が広島に呼びつけられる。 深夜1時に帰宅。ネットのチェックをし、明日の練習の準備。音作り作 業は全く出来ず。とにかく、浜松まで持っていく機材をチェックして4 時頃寝る。 【1999.9.15】 朝7時起床の予定が、目が覚めたらなんと9時。体が動かない。目覚ま し時計をいつの間にか止めてしまって寝坊、ということはよくあるが、 目覚ましが鳴りっぱなしの中、起きずに寝続けていたようだ。 即、大江氏に電話し、遅れることを伝える。友人に楽器を借りるため11 時に浜松で待ち合わせをしていたあっこちゃうやんにも電話。楽器の借 用手続きをお願いする。練習は午後1時開始。 早速スタッフTシャツを着て浜松へ。高速道路は以外と空いており、1 度の休憩のみで、午後2時にスタジオ到着。1時間の遅刻。台風が接近 しているようで、天気は悪い。 練習は最悪。全く手足が動かない。浜松組はキッチリ仕上げているので、 とっても申し訳ない。明日は、平日なのだが、出張の分の代休を充てて いるので、昼間に最初で最後の個人練習を行うことにする。 練習後、近くのスカイラークで食事しながら打ち合せ。しかし、このご に及んでもまだ夢物語の尽きない我々。くだらない話しをすると何時間 でも話してる。結果、ファミレスに4時間ほど居座る。 VMOビック・バッチのあまりの出来の良さに感激。せっかく作ったデジ タル・たんすを取りやめ、ビック・バッチ・ステレオL/R2個攻撃に変 更する。置き場所、及びどのように演出するかを相談するが、最終的に タム・スタンドに取り付けることで決定。VMOビデオ・ダイジェストは 製作しないことになる。 途中、休日出勤中の田畑くんよりちゃうやんのケイタイに電話。18日の 休日出勤が確定したとのこと。残念。 浜松宿泊。寝ようと思った矢先、たまたま前の会社の同期数名が集まっ ているとのことで顔を出す。仕事帰りの田畑くんも来てくれて、スタッ フTシャツを渡す。18日は、これを着て仕事をしてくれ。 深夜3時過ぎ就寝。 【1999.9.16】 9時起床。ノート・タイプPCを持参していたのでメールならびにネット のチェック。各バンドのリーダーにもメールで連絡を入れる。メンバー 用には、昨日の練習テープのダビング。 昼食後、個人練習のためにスタジオへ。14:00〜18:00まで。ほとんどを 音作りと買って初めて叩くスネアのチューニングにあて、実練習時間は 1時間程度。大雨の中、全員練習を行う別スタジオに移動。エアコン不 調のRenaultで、窓が曇りまくり。ほとんど視界の効かない状態での運 転は恐怖だ。今夜帰京するか迷う。 最後の練習。全員、あまり口数か少ない。一度通して演奏。すでに残り 時間が少なくなったため、最後のゲネプロ。本番さながら、照明を落し て演奏。かなりアップテンポで演奏した「在広東少年」が好評。この感 じで行こう、と決まる。 泣いても笑っても最後の練習終了。スタジオ前で当日の打ち合せを軽く すませてから解散。VMO解散(笑) 帰りの高速は、死にたくなかったのでガラスのくもりを止めるために、 覚悟を決めて窓を開けて豪雨の中を爆走。当然ずぶぬれ。風邪ひかない かなぁ。深夜2時ころ帰宅。 【1999.9.17】 前日。 さすがに起きれず、昼前に起床。広島でクサクなった労働者服を洗濯(笑)。 ステレオでは、資料テープを延々ループさせる。ついでに、地獄のようにキタ ナイ部屋の掃除。テスト前になると、机の上の整理を始めるのと同じ心境(笑) 気が付くともう夜。久々にテレビを付ける。そう言えば今月に入ってまとも にテレビ見てない。テレビって面白いな(笑)。テレビを見ながら、VMOビッ ク・バッチのスタンド作成。当初考えていた方法ではうまくいかなかったも のの、なんとかキレイに仕上がる。浜松では「18日に仕事に行かないのが顰蹙 なくらい忙しい」はずの野上氏が、2個目のVMOビック・バッチ作成のため、 なんと会社を午後半休する(爆)。この気合には感服する。 「今回は、演奏以外の負担をかけないようにしよう」という目標ではじめた VMzerO。でも、やっぱり前日は練習でなく、工作をしている(笑) 寝ろよ、オレ。 衣装のチェックをしたり、音を作り直したり、シールドのチェックをしてい ると、あっと言う間に朝の5時。PCが不調になり青い画面連発。きっとあの 人やこの人も起きているんだろうな、と思いつつ、PCが立ちあがらなく確認 できないので、電話は控えて就寝。浜松組はそろそろ起床の時間か。 メンバー用掲示板より: ----------------------------------- たった今完成! NG - 99/09/17 22:37:05 俺は一体何をやってるんだ!? ----------------------------------- |
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【1999.9.18】 メンバー用掲示板より: ----------------------------------- 準備終了 あっこ - 99/09/18 06:34:02 無駄毛処理終了。 #あっつ、ひげ。 ----------------------------------- 当日。 7時起床。なんとかPCを復旧させ、進行表の作成。昨日、機材のチェッ ク中に3月の進行表が出てきたので、エクセルを使い同じフォーマット で作成。よし、プリント・アウト、と思った瞬間、またしてもPCが立ち あがらなくなる。30分ほどして、諦めかけたときに立ちあがり、一気に 印刷。その後はもう立ちあがらないので、ネットのチェックは諦める。 もう余計なことはしないで、機材の点検だけして、ヒザを叩いての最後 の練習。するとすぐに大江氏から電話。海老名S.Aの休憩を終えたとの こと。もうすぐ到着か。 11時45分ころ、浜松組、布施邸の到着。いつもは、テトリスのように隙間 なく機材をギッシリ積み込んで来るのだが、今回は「本当に楽器積んで来 ましたか?」というくらいガラガラの車内。んん、デジタルはスゴイ。^^;) ドラム関係の機材を積んで、江古田に向けて出発。布施は電車で向かう。 途中に新宿・東急ハンズに寄り、両面テープ類の文房具を購入して江古 田に14:15に到着。 14:00集合の予定だったが、すでに全バンド搬入が終わり、Yセツ王は もうリハを開始し、ヒサシ氏のProphetが炸裂している。ありゃ、ボク が一番遅かったのか。それをバックに機材の組みたて。 と、浜松組から「食事に行くけど」と声をかけられる。なんと10分程度 で機材の準備が全て終わっているのだ(笑)恐るべしデジタル。 その向こうで、Yセツ王のアナログ音爆裂。恐るべしアナログ。 自分の機材組みたてが終わり、あっこちゃうやんと外出。目的は、食事 と薬局探し。ユンケルを買い、Buddy近くのマクドで食事。バリューセ ットを頼むが、食べきれず。そう言えば今日はじめての食事だ。店内か らYセツ王のメンバーが、外に出てくるのは見える。Quiet Villageの リハが始まったようだ。Buddyに戻る。 相変わらずウマイっすね、QV。The End Of Asiaでは踊ってしまった。 と横を見ると、リハを終えた中村氏もノリノリだ。 あっと言う間に、われわれのリハ開始。特に大きなトラブルもなかった が(リハでトラブルがないのは、初めてではないだろうか?)、極度に 緊張して、演奏はメロメロ。死ぬほど胃がイタクなる。そうか、いつも は機材がトラブルので、緊張してる暇がなかったのかもしれない。 リハ終了後、.EXEにバトンタッチ。本番終了後のようにグチャグチャにな ったシールドをセッティングしやすく整理する。.EXEはボクの好きなポッ プス系の曲が多かったので、リハを聞きながら、楽しく本番の準備を行う。 MR.YF「いやぁ、死ぬほど胃が痛くて…」 ながちん「クスリ飲みました?」 MR.YF「うん、さっきユンケルを…」 ながちん「いや、そのクスリじゃなくて… ^^;)」 外にはすでにお客様が並んでいる様子。すげぇ。 時間通りに開場。一気に最前列のイスが埋まって行く。しかも、見慣れ た顔が多い(笑)。と、ここでBGMに気が付く。そうだ、各バンドの前 のBGMは、そのバンドが用意するんだった! どうしよう、と思い、と みな氏に相談すると、高沢氏が全バンド分用意しているとの話し。ホン ト、何から何まで感謝です。 開演が迫り楽屋へ入る。tighten up氏はYセツ王の衣装作りにミシンを 踏んでいる。おお、ライブだ。高沢氏を始め、.EXEのメンバーも衣装に 着替えて準備完了。高沢氏、鏡に向かって口紅を塗る姿、誰かさんとそ っくり。記念に1枚パチリ。あっこちゃうやんの化粧もほぼ終了。 .EXEがステージに上がると同時に早速衣装に着替え。今回は、セッティ ング終了後、そのまま演奏を始めずに一度楽屋に戻るので、まだTシャ ツのままのメンバーもいるが、ボクはvMoシャツの上からブルゾンをて 待機。が、.EXEの演奏曲順を確認するのを忘れ、どの曲が最後かわから ずに、長時間ブルゾンを着続けたので、すでに汗でびっしょり。 今回は、アンコールで人民服にお色直しもあるので、着替えやすいよう に、人民服と小物(笑)をまとめておく。靴下は、履き替えるのに手間 取りそうなので、人民服用の靴下の上に、vMoシャツ用の赤の靴下を重 ね履きする。スキーに行くような気分だ(笑) さて。.EXE終了。今回は、.EXEの協力で、機材をステージ後方に置かせ てもらっていたので、スムーズに入換え完了。VMOビック・バッチも組 みたてて登場。ここで、ベースにトラブル発生。DIの設定がおかしかっ たようだが、QV志賀口氏にピンチを助けてもらう。 一度楽屋に戻り、ブルゾン(notブルボン)を脱いでいざステージへ。 VMOビック・バッチにあわせて、FUJIカセットのYMOテクノ・バッチを付 けて登場したのだが、気が付いてくれたかな? システム役(普段は“たんす役”というんだけど、今回はたんすがなか ったから)の天野氏に準備OKの合図を送ると、即クリックが鳴り始める。 ◎1曲目:YOUのテーマ ご存知、NHK教育テレビで放送されていた「YOU」のオープニング・テー マ。教授の作品。当時教授がDJを担当していた「サウンド・ストリート のTV版」といった感じだった。若い人には高野寛と緒川たまきが司会を していた「ソリトン・サイドB」の'80年版というところか。 頭のドラムで「Solid State Survivorか!?」と思わせるのもひとつの 作戦。単に手拍子を煽れればいいな、ということで16小節のドラム・ソ ロにした。チャイナ・シンバルの位置が悪く、うまく叩けなかった。 ◎2曲目:音楽殺人 幸宏、いや、ユキヒロ氏の「これぞポップス」って曲。昔から一度演奏 してみたかった曲。雰囲気は、ユキヒロ・バンドっぽくしたが、「YMO がライブで演奏してたら」という感じの演出もできればいいなぁ、と思 っていた。'80ワールド・ツアーの写真集「OMIYAGE」の写真で、オーバ ーハイムに貼っている演奏曲目リストの中に「音楽殺人」が入っている ことは有名な話し。一体、どんな演奏だったのだろう。 相変わらず、オープニングの曲はなかなかうまく演奏できず、シーケン サと微妙にノリがズレてしまった。ん〜ボーカルは、やっぱダメですな。 「YOUのテーマ」とメドレーにしたのは大成功だったと思う。ヨッシャ。 ◎MC1 最初のMC。「どうやってVMOとの違いをアピールするか」で悩んだが、 「ボクの入った新しいバンド」として紹介した。VMzerOについては、も ちろん、他のバンドのメンバーにも話していなかった。しかし、今回、 MC中にヘッドホンをズラすのを忘れていたため、全く歓声が聞えず(し かも観客の表情が見えない)、ウケてない、と思い焦り始める。 ちなみに「VMzerOは、浜松で活動しておりまして…」のくだりは、3/6 のVMOのライブでの自分のMCのコピーです(笑) 「VMOが王道なら、VMzerOは邪道。大仁田厚のような活動をくりひろげ たい」と話した時、客席には聞えかなったかもしれないが、あっこちゃ うやんが「わかんねぇ〜(笑)」と言ったのがマイクに入り、ヘッドホ ンのモニターで聞えたので、可笑しくて噴出してしまった。 「機材を楽しみに来た」方々の怒りを柔らげるMCを試みたのだが、その 結果は如何に? ◎3曲目:春咲小紅 VMOからのスペシャル・ゲスト、ということで、あっこちゃうやんをフ ィーチャーした1曲。MCで緊張がほぐれたのか、ボクだけでなく、全員 イイ感じの演奏になり始めた。個人的にはすごく好きな曲なので、演奏 できて嬉かった。YMOがバックの頃の矢野顕子は大好きなんだよね。し かし、ビデオで見ると、ちゃうやんはスゴイなぁ… ◎MC2 本当はここでMCを入れたくなかったのだが、演出・構成的に、ここで入 れないと最後まで行っちゃうので一言だけMC。そういうつもりは無かっ たのだが「実はライブはもう終盤」と言った時に、「あ、そう言えば、 中村さんもYセツ王ライブで同じこと言ってたな」と思い、パクったと 思われるのが悔しかった(笑)。しかし、ここでもウケてないと思い、 しどろもどろになる。もがけばもがくほど深みにハマる(爆) ◎4曲目:Core Of Eden 絶対走らないように気を付けた曲。ただし、2000-20やアルバムのような 感じにするため、あんまりスロー過ぎずに演ろう、とも思っていたので、 結構難しかった。あとは、何と言ってもボーカルば難しかった。特に音程 が取りずらく、当日の演奏テープを聴いても恥ずかしいばかり。ケンジっ ぽいギターもカッコイイし、なんたってベースがカッコイイ。最後のシン セうにょうにょもよかった。こんなにイイ曲だったんだね。 ◎5曲目:在広東少年 さあ、来ました(笑)この曲はちゃうやん炸裂。「春咲」は「出来るだ けクオリティーの高いボーカル」を要求したが、これは「男になってよ か」ということでシャウトしてもらった。「走る走る」と好評でしたが、 実際は走っていません。最初が速過ぎてだんだんテンポ落してます(爆) もともと練習の時に「もう限界」というテンポでの演奏が評判よかったの で「もう限界」で演奏しようと最初から考えていたのですが、テンション が上がっていたため、「限界」のレベルが多少上がっていたようです(笑) 途中で「やべ、最後までもたん」と思いながら演奏してました。弦ベー スで演奏している野上氏がしんどいだろう、と思い顔を見ましたが、一 応ポーカーフェイスで演奏していたので「ま、いっか」と思いそのまま 突っ切りました(笑)。でも、何よりも自分のBDが付いて行けませんで した(爆)。練習のオニ修・伊藤氏は香津美ソロをコピー!すっげー!! この曲でVMOビッグ・バッチ点灯。 ◎アンコール〜MC3 5曲目が終わったら、速攻で楽屋に行って着替え。ボクが最初に着替え て登場するので、優先的にきがえさせてもらう。んが、楽屋に帰って着 替えるとアンコールが聞えない(爆)。どうしよう、と焦っていると、 お情けでアンコールをしてくれる。ああ、よかったよかった。 1分以内で着替える予定は、結局は2分かかる。メガネをサングラスに 変え、人民帽をかぶってステージへ。チャックだけはチェックする。 そしてメンバー紹介。この時点で、人民服の袖からvMoシャツの袖が見 えていることに気が付き「ぬぉぉぉぉぉっつ。学生服みたい」と気にな ってしょうがない。しかし、この格好で喋るのはかなり恥ずかしい(笑) そうそう、右腕に「MIDI」とデッカク書いたステッカーを貼ってたのだ が、気付いてくれたかな? 何時の間にか剥がれてしまってたけど。 メンバー紹介は「着替えが終わった人から舞台袖に来てくれれば、その 順番で呼ぶから」という約束だったのだが、実はステージから全く見え なかったのだ(苦笑)。そこで、まず、天野氏の衣装がキラリと光った。 次にちゃうやんのバカでかい黄色のヘッドホンが見えた。で、次にでっ かいアフロを見つけなければいけなかったのだが、「赤」が先に見えて しまったのだ。で、伊藤氏の紹介をすっかり忘れてしまう。 だって、伊藤氏、上から下まで黒一色なんだもん(笑)。 伊藤氏、楽屋で「オレ、帰ろうかな」を連発していたらしい。このまま 次の曲を始めてしまってたら、誰がソロ演ったんだろう? ごめんなさい>伊藤氏 しかし、怪我の功名というか、かえって伊藤氏のコスプレをアピールで きたようだ。やっぱりシブイ。「またかぶらなきゃいけないのかな」と 嫌そうにしてたにも関わらず、誰も頼んでないのにサングラスをアレン ジしていたのには感動しました(笑) そして、全員揃って最後の曲です。 ◎6曲目:東風 我々初の演奏。今回のVMzerOは「We Love Digital.」というコンセプト も当然なのだが、「浜松組で東風の1次バージョンを演奏する」という のが最初であり、最大の目的だったのだ。 VMOならば、シンセ・ベース担当の天野氏は弦ベースを弾けない。かと いって、弦ベースの曲だから、と言ってその時だけパートをチェンジし たりすることはダサイ。「YMO完コピの王道VMO」的には許し難いことな のだ。逆に、東風のために野上氏がシンセ・ベースを含め全曲ベース担 当、というのも、また変な感じなのだ。 そこで、全て問題をクリアし、弦ベースで我々が初期の東風を演奏する。 これこそVMzerO。これぞテキ屋魂。 その甲斐あってか、東風の演奏はいい出来だったと思う。特に、やっぱ りベースは最高だった。デジタルながらシンセの音もよかったし、ハイ ハット・ワークもウマクできた。「あれ?このソロ、聴いたことあるん だけど、どのバージョンだっけ?」とまんまとはまった公的抑圧・教授 ソロのギターコピー。ちゃうやんもノリノリ。そして動かない天野氏。 唯一残念だったのは、前日シンドラの音を作り直したにもかかわらず、 MIDIの設定を変更し忘れて、作り直す前の音が鳴ってしまったこと。ん ん、ちょいと惜しかった。ま、でもヨシとしよう。 そして、エンディング。デジタル・ボコーダーによるご挨拶。 「また会える日をお楽しみに。We Love Digital. We Are VMzerO.」 勢い余って人民帽をプレゼントしちゃいました(笑)。 本番後、速攻片付け。Yセツ王本番前には、全ての機材を機材車に積み 込み完了。諸用のため、伊藤氏VMzerOステージ後、最終新幹線にて浜松 へ。完パケ後、大江氏は緒用のため恵比寿へ。残りのメンバー&スタッ フは打上げ会場に向かうが、VMOビック・バッチ製作時にスプレーのり を大量に吸った野上氏は、体調を崩しホテルでダウン。残りのメンバー 及び、清田氏で打上げに参加。大バカ地蔵で、大ビデオ鑑賞会となる。 清田・天野両氏は2時頃ホテルへ。ボクとあっこちゃうやんは、最後まで 参加し、八田ご夫妻、志賀口氏と吉野家での2次会までご一緒し(爆)、 電車で布施邸へ。朝の7時すぎでした。 気持ちよく楽しい1日であった。 【1999.9.19】 12:00頃電話で起こされる。ホテルに宿泊した清田・天野・野上氏から電話 で、あと30分程度で布施邸の到着するとのこと。あっこちゃうやんを起こし 帰宅の準備。1時間もせずに、機材車到着。ボクの機材を降ろし、布施邸で しばし休憩。昨日、高沢氏よりいただいたPA録音のDATをみんなで聞く。 浜松到着後の撤収作業を考え、早めに15:00前、浜松組テクノポリスを出発。 これまでにないほど汗でぐしょぐしょになったvMoシャツ等の洗濯を始める。 あっと言う間に夜になり、巨人戦をテレビで見ながら今日初の食事。予想以 上に元気だったのだが、1本のビールで急激に睡魔に襲われる。薄れる意識 の中、巨人・ニ岡のサヨナラ・ホームランを見届けて目を閉じる。 |
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